本センターはマカンレス近郊のLlwyngwern採石場跡に立地しています。この採石場は1951年に閉鎖された後、自然の中に放置されていました。
創設当時のメンバーの述懐から、本センターの創設理念をお酌み取り下さい。
1973年、今の駐車場付近から山上の展示場に当たる場所まで苔むした道を苦労して登ったのを思い出す。敷地はジャングルの様な有様で、繁り放題の樺の木の間に壊れかかった建物が点在していた。静まり返った空気の中に枯れ葉が音もなく舞い落ち、時間が止まった世界の様でさえあった。そして何か私を惹き付けるものがあった。世の喧騒を離れた所でこそ新しい健全なライフスタイルの実験とデモンストレーションができるのではないだろうか。その思いが、この美しい幽遠の地で実現したのである。
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Gerard Morgan-Grenville 創設者
予感と希望
1960年代、70年代を通じて工業文明の歪みが注目される様になり、人々の間に環境意識が高まりました。Gerard
Morgan-Grenvilleも、その社会思潮の影響を受けた一人でした。以下は、「CATストーリー −驚異の先駆者達−」からの抜粋です。
私は早くから環境に敏感になっていた。時々風景画を描いていたものだが、風景の変化に気付いていたのである。それは旅先のどこでも同じだった。
私はイートンカレッジで学び、3年間の兵役の後二つの企業に勤めた。どちらも上司とソリが合わずに退職し、独立して企業を起こし、今も名義上の経営者となっている。それは陶器、ガラス器、ステンレス、その他家庭用品の貿易であり、兄弟と共に経営し、なかなかの成功を収めた。しかし、20年前に現場を退いた。何か環境の為に働きたかったのである。
22年前、私は休養中にアメリカを訪れた。そこでヒッピーを始めとする「オルタナティブ」の活動家達について学んだ。彼等は今日CATが提唱し、展示している技術を模索していたが、その多くは成功には至らなかった。彼等の活動は統制のない、瓦解し易いものだったのである。重要な原因は、彼等が環境を重視する余り、一般社会から遊離する道を選んだ事である。そして、既存の権威を敵視した事である。
一方、産業界の指導者達と話し合ってみると、多くの人々に問題意識が芽生えていると言う点では見解が一致したが、彼等は目先の事に係り切りの様であった。
帰国して考え付いた結果は、環境問題を実際に見せ、どう対処すべきかを示して見せる言う事だった。
- Gerard Morgan-Grenville 創設者
我々は楽園の想像を夢見て、最善を尽くした。共に暮らし、共に働き、共に語り合った。そこには開拓のロマンがあった。
- Roger McLennan 園芸部門担当
ここでの思い出は私にとってとても大切なものだ。あの時この場面と言う様なものではなく、ただ7年半と言う一塊のものだ。昔教えを受けた修道士の口癖は「何故と問う精神」だった。7年半の思い出は、何故と問う精神に満ちていた。
- Ewan MacEwan 建築家、1980年代のCAT施設内居住者
以上は「CATストーリー −驚異の先駆者達−」からの抜粋です。
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